「天気の子」の主人公、森嶋帆高は神津島に住んでいる16歳の高校1年生です。
家出をして東京に出てきましたが、家出の原因については劇中触れられていないので気になる方も多いのではないでしょうか。
原作小説では帆高の家出についての描写があり、父親との関係が上手くいっていなかったことが分かります。
帆高の家出の理由について、顔にある傷について解説します。
天気の子・帆高の家出の理由は?
神津島からたった一人でフェリーに乗って東京へ出てきた帆高。
東京へ向かうフェリーで大雨の中、甲板に出てきた帆高はずぶ濡れになりながらも、とてもうれしそうな表情をしていました。
家出の原因は何だったのでしょうか。
家出の原因は父親
劇中で家出の原因について触れられていませんが、原作小説に「あの日、父親に殴られた痛みを打ち消すように自転車のペダルをめちゃくちゃに漕いでいた。あの日もたしか、島は雨だった。」とあります。
帆高は父親に殴られた日、自転車を漕いでいた時に分厚い雨雲の隙間から伸びるいくつもの光の筋が見て「この場所を出たい!あの光に入りたい!」という気持ちが湧き、その光を目指して必死に自転車で海岸線沿いを走りました。
しかし、帆高が光に「追いついた!」と思った瞬間、その光は海のはるか向こうへといってしまい、これ以上追いかけられませんでした。
家出先が東京なのは何故?
光を追いかける事は出来ませんでしたが、これがきっかけで帆高は「あの光の中へ行こう」と決心しました。
高校生の家出だったら友達の家、親戚の家になりそうですが、帆高は父親と喧嘩をした日に見た光の筋が指す方向(東京)を目指しました。
のちに陽菜から家出の理由を聞かれて「息苦しくて。地元も親も。東京にちょっと憧れてたし」と答えていましたが、憧れていたというのは後付かもしれませんね。
東京行きフェリーで須賀さんにも出会いました。
大雨の中、フェリーの甲板から海へ落ちそうになった帆高を助けてくれたのです。
須賀さんは帆高の東京での生活を支えてくれた重要な人物です。
須賀さんについてはこちらの記事に書いています。
ー序盤ー
フェリーで、帆高がただ1人狭い通路を客の流れに逆らって甲板へ歩くシーン。ここで既に帆高が起こす社会への反乱の伏線を描いている。ただ、誰もいないはず、"普通"は行かないはずの雨降る甲板を滑り落ちる帆高を助けた男がいた。それが須賀さんだった。 pic.twitter.com/eQXTXYEWiO— あいろん@ただ呟くだけ (@hikiokasakuta) August 5, 2019
ネットカフェで読んでいた本は?
東京に家出した帆高は、ネットカフェでバイトを探していました。
「どん兵衛」を食べるために、お湯を注いだ後、フタの上に本を乗せていました。
この本は「ライ麦畑でつかまえて」です。
「ライ麦畑でつかまえて」は、1951年に発表された作品でアメリカの作家サリンジャーの中編小説です。
青春小説の古典的名作として世界中で読み継がれています。
家出少年が主人公の小説で、クリスマス前のニューヨークの街をめぐる物語です。
主人公「ホールデン・コールフィールド」が、学校の寮を飛び出して、その時期にしかわうことができない青春を楽しむという物語。
「ライ麦畑でつかまえて」と「天気の子」の共通点を探してみましたが、
「世の中や大人に嫌気がさしている」、「大都市で放浪」といったことでしょうか。
大人と子供の間で揺れ動く心情が描かれている作品ですが、帆高に自分の境遇に似ていると思った部分があったのかもしれません。
船の中で読んでいたサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」で帆高の人柄と家出理由を見事に説明。新海監督のライ麦畑へのオマージュと捉えると帆高の倫理観の欠如も合点がいく
ジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンを思い出した。彼もライ麦畑と拳銃を所持していた…#天気の子 pic.twitter.com/Aru9UmSYUV
— 真昼 (@mahiru_0722) January 4, 2021
父親と関係は修復されている
東京での家出経験で帆高の意識が変わったのでしょうか。
劇中終盤では、帆高の高校の卒業式で父親と並んで写っている写真も登場しますし、親子の関係が家出前よりも良くなっていることがわかりますよね!
原作小説にも「あれほど窮屈だった父も学校も、戻ってみればそこは当たり前の場所だった。僕が不完全であるのと同じように、大人たちもまた等しく不完全なのだ。みんながその不完全さを抱えたまま、ごつごつと時にぶつかりながら生きているのだ。僕は気づけばそれをすんなりと受け入れていた。」とあります。
帆高が逮捕されて島に戻ったあと、親子関係が修復されたのだと思います。
家出から島に帰った後の二人の関係は円満だったのかもしれません。
帆高が島に帰った時には、父親も穂高を迎え入れていました。
虐待などで日常的に暴力を振るわれていたわけでもないと思います。
帆高の顔の傷は?
東京に向かうフェリーで帆高は鼻とほっぺに絆創膏をつけていました。
顔に怪我を負っていた事に関しては、劇中全く触れていないためどうしてかと気になった方も多いと思います。
これについては、小説版「天気の子」の描写でも書いていますが、父親に殴られてできた怪我だということが判明しています。
「つい先月まで誰かに命令されることや押さえつけられることをあれほど憎んでいたのに」と記述があります。
父親は帆高に口うるさい指図したり、手が出てしまうことが多かったのかもしれません。
まだ痛々しい傷があるので帆高はおそらく殴られて間もなくフェリーに乗車したと思います。
まとめ
帆高は地元の島を始め、家庭環境に抑圧的な印象を持っていることがわかりました。
その中でも特に、父親との関係が上手くいっていなかったようです。
劇中、帆高の家出の理由を明らかにしなかったのは新海監督の思いによるものです。
それは「トラウマでキャラクターが動かされる物語にしたくなかった」から。
陽菜も母親を亡くしトラウマを抱えていますが、真っ直ぐな気持ちで少年少女が駆け抜けていく姿を描きたかったためあえて触れなかったんですね。
監督の強い思いが伝わる作品です。
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